霧の北京で詩的言語への夢を語り合った

野村喜和夫


 霧の北京で詩的言語への夢を語り合った--といっても私は先約の仕事があってひと足先に帰国してしまったため、途中経過的な報告しかできないことをあらかじめお断りしておく。
 十一月十九日、夜更けの北京空港に降り立つと、おお霧。北京滞在の経験がある北川透さんによれば霧ではなくスモッグらしいが、幻想的なので許す、というような気分で北京新世紀日航飯店にチェックインした。翌二十日午前、会場の豪華さとパネルの文字の大きさに度肝を抜かれた開会式のあと、午後からは小グループによる討議、いわば「分科会」となったのだけれど、私が割りふられたグループ(楊煉、陳東東、浅見洋二)のテーマは「言語」。これがホテルのやや寒々とした廊下のようなスペースで行われたのだから、白熱し面白くならないはずはない。私はしゃべった。ふだんの座談会の二倍から三倍も、言語について、たとえば「日中両国で共有できる言語的東方性があるとすれば、それは漢字をおいてほかにない、だが日本側の特殊事情というのもあり、日本語で詩を書くというのは、ある種の二重性をその条件として引き受け、かつ、または、その可能性としてひらくことである、つまり古代の私たちの祖先は長い間文字をもたなかった、そこへ漢字が到来して、祖先はそれを二通りに使用した、ひとつは音を転記するただの記号として、やがてそれはひらがなとなり、ひとつは概念を盛る器として、ほぼそのままのかたちで使われ、今日にいたっている、極論すれば、前者はいわゆる大和言葉と一体となり、私たちの身体の近くに、男性的というよりは女性的に、主語形成的というよりは述部形成的に、あるいはシニフィエとしてよりはシニフィアンとして感じられ、一方後者は、さながら象徴秩序の体現として、私たちの脳の近くに、女性的というよりは男性的に、述部形成的というよりは主語形成的に、あるいはシニフィアンとしてよりはシニフィエとして感じられる、そうした二重性そうした漢字文化圏のへりの特異性を、どのように詩の言語の豊かさへと転化してゆくか、それは今日なお、われわれ日本の詩人の課題であり、ひいてはまた、真の東方性に通じてゆく意味深い迂路ではないかと考える」というようなことを。楊さんは西欧言語学とりわけソシュールを暗に批判するように、一文字のなかに音と意味を閉じこめた漢字の小宇宙的空間性について語り、陳さんはそれをさらにやや批判するように、漢字は表音的でよい、もしそれが現在のわれわれの発話をリアルに反映するのであれば、と言う。
 三者三様。浅見さんが橋を架けるように、詩の核心に生起する現象として言語が言語を超えて言語ならざるものに成り変わってゆくモメントを提案する。あすはそれが議論の中心になればよいと思いつつ、その日は終了し、翌二十一日ふたたび同じメンバー同じテーマで討議が行われたが、もとより結論など出ないのだし出す必要もないので、むしろお互いの差異の確認がなによりも刺激的であり創造的なのだ。私の場合ただでさえ多作といわれている詩作への意欲が一段と湧くとともに、来年秋に予定されている東京での日中現代詩交流「後半戦」にはフル出場でがんばるぞ。