エデンホテルへの道

野村喜和夫


 私がたずさわるいわゆる現代詩は、自由詩とも呼ばれている。短歌・俳句のような定型を持たず、そのつどの形から形へと、たえず自由に移動し流動しているからだ。それは旅人の姿に似ている。私が旅に憧れ、じっさいに旅に出ることが多いのも、ひっきょう、定型的な生活をかりそめ離れて、こうした自由詩的状態をつねに心身のそばに、あるいはそれこそ心身そのものとして感じていたいからであろう。
 さてそこで、この春はイスラエルに行ってきた。といっても、一週間たらずの弾丸ツアーに加えて、ニサン国際詩祭イン・マグハルという催しに招かれての、やや公的な色合いも帯びた旅である。
 成田からパリを経由して、気の遠くなるような長旅の果て、テルアビブ近郊のベン・グリオン国際空港に降り立つと、「フェスティバル」というカードを掲げたひげもじゃの男に迎えられた。「フェスティバル」だけで大丈夫か、イスラエルはダンスもさかんだ、もしかしてそっちのほうの関係者ではないのか。英語もあまり通じないようだし、しかしまあなんとなく了解し合って、彼のタクシーに乗り込む。時間は午後の4時半すぎだ。
 空港を出るとまもなく、平原の奥に高層ビルの林立が見え始めたが、あれがテルアビブなのだろう。そこをかすめて、今度は海岸沿いをひた走る。意外に緑が多い。しかしこれは、帰国の日に会食した日本大使館の人から聞いた話だが、灌漑のたまものらしい。
 車はいつのまにか内陸部に入り、次第に風景が荒涼としてきた。そして、とある半砂漠の山の中腹に、かなり大きな美しい集落が見えてきたと思ったら、そこが目的地のマグハル村だった。事前の情報によれば、あのイエスが布教して歩いたガリラヤ湖にほど近いはずである。
 イスラエルというとユダヤ人の国というイメージが強いが、じっさいはアラブ人も少数ながら住んでいる。というか、もともと彼らが住んでいたところへ、国連決議によってイスラエルが建国され、その後も世界中からユダヤ人たちが移入してきたという歴史があるわけで、両者のあいだで争いが絶えないのは周知の通りだ。公用語もヘブライ語とアラビア語とふたつある。このニサン詩祭もじつはアラブ系の人たちの主催によるものだ。
 会場への私の到着は、日没まぎわ、開会式に間に合うぎりぎりだった。ホールに入ると、詩祭ディレクターの詩人ナイム・アライデ氏から、流暢な英語で声をかけられた。はじめまして。これからすぐ「デジャヴュ街道」を朗読してくれますか。これまでいろんな海外の詩祭に出かけたが、到着当日に朗読をするハメになるのははじめてだ。しかし、アライデ氏が私の詩のタイトルを覚えてくれていたことに感激して、快諾。スクリーンには、そのヘブライ語訳とアラビア語訳とが映し出される。
 私のほかにも、東欧、ロシア、中国などから来た詩人たちがつぎつぎと舞台に登場し、それぞれの国の言葉の響きが、リズムが、飛び交う。まさにバベルの混乱、だが心地よい混乱である。さすがの英語も、このときばかりは世界語の座から降りて沈黙を余儀なくされている。
 朗読のあとはディナー。ガリラヤ湖で獲れるセントピーターズフィッシュの唐揚げをはじめ、おいしい料理が並ぶが、イスラムの戒律にしたがって、アルコール抜きなのがなんともつらい。しかし郷に従ってしまうと、現地の人たちの心の広さ温かさがしみじみと伝わり、アラブ式歓待のなんたるかをわずかながら学び取ったような気がした。
 詩祭で興味深かったのは、英語ベースのシンポジウムのときだ。「多文化状況における詩の役割」と銘打たれてそれは始まり、私たち招待詩人も参加したのだが、しだいに地元イスラエルの詩人たちによる、詩と政治の関係をめぐる激しい議論となった。アラブ系詩人が、詩にも政治的なメッセージを込めるべきだと主張すると、ユダヤ系詩人が、建国の事情のうしろめたさもあるのだろうか、詩は芸術であって、政治とは別物だと反論する。こうして、政治的メッセージのあるなしにかかわらず、詩とは言語の政治そのものなのだということが、はからずもあきらかにされた感じだ。
 ただし、つけ加えておこう。それまでかなり過激にパレスチナ人の立場を主張していた長老格の詩人が、最後には、アラブ人もユダヤ人も同じアブラハムを祖とする兄弟なのだから、仲良くしなければならない、と締めくくったのだ。私はふと、バレンボイム指揮によるアラブ人ユダヤ人混成のオーケストラが成功を収めたというニュースを思い出した。
 そして旅のハイライト、それはしかし、詩祭そのものというより、これも主催者側が用意してくれたのだが、投宿先のエデンホテルであったかもしれない。さすがは聖書のふるさと──と思っていたら、設備その他において完全に名前負けしていた。たとえば深夜のバーでは水だけが供され、エレベーターはときどき止まってしまう。部屋に入れば窓がなく、ドアノブは壊れかけ、絵は斜めに掛かり、トイレにはトイレットペーパーがない…… これでエデンだというのだから、なんとも皮肉がきいているではないか。詩祭最終日の夜、地の底に沈む込むようなベッドに寝そべりながら、私は詩を、その名もずばり「エデンホテル」というタイトルの詩を書き始めていた。旅は詩に似ているだけではなかったのだ。まぎれもない一篇の詩まで私にもたらしてくれたのである。

(初出「日本経済新聞」2010年5月2日付)